
山形市小白川天満宮の算額(大正時代の物)
あまり知られていないことですが,山形県は江戸時代の和算家安島直円と会田安明の出身地(*)と言える県です。そのため,県内には和算に関係のある算額や資料がいくつかあります。今回はまずこの2人について説明します。
安島直円(あじまなおのぶ)1732〜98(享保17〜寛政10)
江戸時代中期の和算家で,関孝和の創始した関流の宗統4伝である。現在の山形県新庄市の戸沢藩の藩士である。江戸藩邸に生まれ,本名は萬蔵である。12才の元服の時,「直円」と命名されている。(このときから数学的才能が素晴らしかった!!)始め中西流の入江十太夫應忠に算学を学び,その後関流宗統山路主住に学んでいる。41才のとき,山路が没し,直円が関流宗統4伝となる。1798年江戸で没す。(67才)墓地は戸沢藩廟所のある東京都港区三田の常林寺で東京都の史跡に指定されている。分骨された墓地が新庄市西山の桂岳寺にある。
(*)直円自身が本国の新庄に来た記録は残っていない。
和算の業績としては
などがある。
会田安明(あいだやすあき)1747〜1817(延享4〜文化14)
山形の七日町(現在の大沼デパート付近)で生まれる。初め中西流の岡崎権兵衛に学び,後に上京して中根流の本多利明に師事する。はじめ関流の藤田貞資の弟子になろうとして果たせず,藤田の著書「精要算法」を批判した「改精算法」を出版したことから,関流と会田の興した最上流との間に論戦が始まる。この論戦は約20年続いた。版元も煽り立てて,一般の人々に和算への興味を持たせる契機にもなった。
<参考文献>